時間泥棒の被害

最近のこと

私は最近,時間泥棒の被害について考えてしまいます。

時間泥棒とは例えば、誰かに何かを質問されます。相手が理解できるように丁寧に説明します。

そこで、また質問を受けると更にわかりやすい言葉を選び、話します。時間をかけて、ゆっくり丁寧に。 

相手は質問を繰り返していたのに、全く理解をしている様子もなく「わかった」と言うのです。

そして、また暫くして同じ質問をしてくる。

私のさっきまでの、あの説明をした時間と労力はなんだったのかと虚しく思う。

ある時は、休日にこれといった予定はなかったけど夫に相談もなく予定を入れられた時。

あれ?私に相談もなく、どうして私の行動を決められているのだろう。

私の時間なのに。当然、付き合うと思われていると感じた時の空しさ。

更に、買い物したい物があるから一緒に行こうと言われOKしたものの、売り場に着いた途端に店員さんに相談してサッサといなくなられた時。

何のために私は誘われたのか。

売り場へ出向くまでの付き添い?

この時間を、私の時間をどうして悪気もないように奪うのかと、流石に怒りが込み上げてきた。

今まで、そんなことをあまり感じたことがなかったのに。

私は夫や子供のことをするのが当たり前で、どちらかと言うと世話好きな方だと思っていたのに。

いや、今までのそれは自分がしたいと自分の意思でしていたこと。

私は時間泥棒被害を受けることに、スゴく敏感になっている。

承諾、了承もなく感謝もなく、何の引け目もなく他人の時間を奪う行為に苛立つことが多くなっている。

親しい仲だから、家族だから、私だから許されると思っているのでしょうか。

そういう考えの人間は図々しい、他人の時間の価値をわかっていないと頭から火が噴き出す勢いで腹立たしい。

と、次女にそんな話をした。

そうしたら、気づいたのです。

自分を大切にしていないからなんじゃないかなって。

自分がやりたい事を我慢していた。

自分が買いたいモノを我慢していた。

いつもいつも、お金に縛られていた。

自分のために、お金を使えなくなっていた。

窮屈だった。

家族のためには時間もお金も使うのに、自分のために使えなくなっていた自分に気づいた。

髪も切りたい、服も靴もバッグも買いたい。好きな絵が観たい。美味しいモノを食べに行きたい。

行きたい、買いたいが私の中で詰まっていた事に気づいたのです。

自分も、原因だったのかと判明しました。

明日はお母さんの服を買いに行こうと次女が誘ってくれました。

人に合わせて生きているうちに、自分を疎かにしていたのかもしれない。

色々な余裕がなくなっていました。

少し充電しなければいけないようです。

自分も時間泥棒とならぬよう、他者に敬意を持って過さなくてはいけません。

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