夫の病気;造血幹細胞移植から2度目の寛解まで。

家族の病気サポート録

移植の翌日、夫は吐き気はないが、ソワソワし眠れなかったと言いました。

私は思っていたより夫の表情が柔らかだったと担当の看護師さんへ伝えると、数日は調子よくても、すぐに体の痛みや下痢や嘔吐が始まるので自宅へ戻るなら早い方がいいと教えてくれました。

翌日、無菌室内ガラスの向こうの夫はつらそうでした。いちいち夫に状態を尋ねないよう、看護師さんに様子を教えて欲しい、電話でも様子を聞かせてもらいたいとお願いしました。

看護師さんは「口腔内が真っ白になり、唾液がでない。また水も飲めなくなった。嘔気あり、夜間も眠れていない。」と伝えてくれました。これから、説明を受けていた移植片対宿主病との闘いです。

ちょうど、この時期は3月中旬で年度末。夫に職場での用事を頼まれていて、病院へ来ても会えないから自宅へ帰りテレビ電話で話す事にしようと言われ、子供達と自宅へ戻りました。

私は自宅へ戻ってから夫の職場へ行き、夫に頼まれた通りにお世話をかけている方々へご挨拶と病状の報告をしました。

買い物先で顔も知らない町の人に声をかけられ、夫の病状を聞かれることに強いストレスを感じていました。小さな町なので、皆さん善意で心配してくださっているとわかっていましたが、当時の私はつらい思いでした。自宅を訪れ、癌に効く薬とか、サプリメントとか持参される方までいて驚きました。

疲れていた心身が自宅で緩んだのか、頭痛が続き倦怠感と眩暈などあり、自分で抑うつ状態かもと思いつつ、自分がしっかりしないといけないと過ごしました。

毎日、テレビ電話をしてくれる夫が、「明日(移植8日目)から痛み止めにモルヒネを使う。咽頭痛が強いのと、吐き気、発熱、下痢があり、眠れない。」と言いました。とても心配になりました。

翌日、慌てて病院へ行くと夫は笑顔でした。

こんなつらい時にも「久しぶり。」と笑ってくれることに、ホッとしました。

入籍記念22回目の日は私がすっかり忘れていて、夫に言われ気づきました。

すごく風の強い日で風のため列車が止まっているとニュースで知りました。いつも順調に走っているわけではないよね、止まってしまう日だってあるよねと、自分達に重ねて思いました。

移植14日目に白血球数が1000に増え、無事に無菌室から元の病室へ移動。

その日、ようやくスープを飲めました。でも味覚を感じず、耳鳴り、吐き気、微熱、下痢は続いています。白血球の数が100以下から戻りが遅かったため、増やす薬を使用開始してからは腰痛や体中の痛みもあったそうです。

その後の1週間、病室の夫は微熱と倦怠感、体の痛みでどんどん体力が落ち、体重減少して体毛の殆どが抜けました。倦怠感が強く精神的にもきつそうでした。

4月になっていました。自宅では次女が8才の誕生日を迎えたり、長男が春休みを終え桜満開の大学へ戻り、長女も高校3年生になりました。

夫は担当医師団が変わり、お世話になっていた看護師さんたちの入れ替わりなどあり、とても残念そうでした。経過は順調と言われても、リハビリの開始で新たな痛みや頭痛、音が非常に大きく響いて聞こえる症状などが加わり、不調は続いていました。

移植後1か月、骨髄穿刺を行いました。顕微鏡下での癌細胞はなかったと報告を受け、安心しました。

夫の手の甲をみると薄黒くなり、手の平と指先は皮膚が剥離していました。赤いブツブツもみられました。水に触れると刺すように痛いと訴え、普段もしびれて痛むので薄い綿の手袋をして過ごすようにしました。

他にも、倦怠感、耳鳴り、吐き気、下痢、手足のしびれ、眼の乾燥、頭痛、関節痛もありました。

食事は食べれるようになっていました。その頃、移植後からの多量の免疫抑制剤が少しずつ減量されていました。

骨髄穿刺から2週間経ち、夫の細胞が弟の細胞に100%入れ替わっていますと医師から報告を受けました。大成功です。この時、改めて弟に感謝しました。これで、夫の体で癌化した白血球は作られないのだと私は大喜びしました。

5月連休中に2泊の外泊許可が出ました。この時に私は不安でした。多分、夫も不安だったと思います。

何か感染症になったらどうしようと考えました。何といっても8才の子供がいます。

あと、移植後は食べ物の制限がいくつかありました。何より、せっかく食べられるようになったのに、お腹を壊すことがあってはならないと思いました。

3日後、病室に無事に戻った時には口にはしなったけれど、お互いホッとしたと思います。

その後は全身の臓器の検査を行い(これが大変きつい)、移植後2ヶ月目の骨髄検査を行い癌細胞がないことを確認し鎖骨下に入れていた点滴用の管を抜き、さらに週末の2泊の外泊の後、退院日が決まりました。

いよいよ、本当に家へ帰ることが出来るのです。医師から、細かな注意点の説明を受けて病室にあった全ての荷物を持って退院しました。

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