夫の病気;現在までの様子。

家族の病気サポート録

夫は2度目の寛解後、退院して初めは週1回採血と調薬のため受診しました。

少しずつ免疫抑制剤とステロイド剤を減量するために通院し、通院間隔は週1回から2週1回へ、3週1回へと段階的に伸びていきました。

有り難いことに、今、振り返ると重い移植片対宿主病はなく経過しました。

肝機能の低下や肺へのダメージもなく、存在する症状は手足のしびれ、下痢しやすい、口腔内と目と全身皮膚の乾燥感などでした。

多少の物忘れを感じることがあったようですが、それは退院後の早い時期によくなっていきました。

ドナーになってくれた弟との白血球の型がとても一致していたのだと思います。

本当に奇跡のようでした。

退院後、生活上の制約もありましたが自宅で家族そろって普段の生活ができるのですから、何の問題でもありませんでした。

私は夫が疲労しないよう常に気を配っていました。今振り返ると、気を配り過ぎていたと思います。

そのせいか、私は以前のように夫に接することができなくなっていました。

子供にも、お父さんに無理を言ってはいけないと常々言っていたように思います。

夫が職場復帰してからは、夫自身も周りの気配りを感謝しつつも、以前と違う環境や自分の体力の無さなどに苛立つ様子がみられました。

その苛立ちや不安を口に出さずに、自分で抱え込み家の中で無口になる夫。

それを感じているのに声をかけられない私。

しばらく、そんな状態が何年も続きました。現在もまだ、そんな感じは少し残っているかな。

定期的に通う血液内科での検査結果で腎臓の機能が少しづつ下がってきていました。

移植後5年目には、腎臓内科を受診するよう勧められました。

一泊入院し腎臓に針を刺して組織をとる検査をしました。

その検査で白血病を治療する時に使用した抗がん剤により、両方の腎臓が硬く小さくなり機能が低下していると言われました。

「こうして生きていられているのだから、まあ仕方ないですね。」と言われたのです。

それからは減塩の食事を心がけました。さらに低蛋白食と低カリウム食を続けてきました。

腎臓内科での薬、例えば血圧を下げる、カリウムを下げる、尿酸値を下げる、尿毒症を抑えるなどの服用も沢山してきました。貧血は月に1度のホルモン注射をしてきました。

なるべく夫の腎臓を大事に使っていこうと努力してきましたが、それでも、昨年後半から腎代替療法が必要になってきたよと話が出てきました。腎移植や透析療法のことです。

腎移植は一般の移植を受ける方と違い、夫は既に1度血液の移植を経験し免疫抑制剤を使っている体。

一生のうちに2度も移植を受ける(免疫抑制剤を使用する)例はほとんどなく、造血幹細胞移植後の生体臓器移植の例もほとんどないそうです。成功例が少なく、リスクが大きいことやドナーが限られることから腎移植は見送ることとしました。これから先、また医療の発展と進歩により腎移植のチャンスがくるかもしれません。

詳しい説明を受けて私達は今後、透析療法について検討をしていくことになりました。

透析療法には血液透析と腹膜透析があります。血液透析は医療施設で受ける透析と自宅で行う在宅透析が選択できます。腹膜透析は自宅で行います。

夫は定年退職まで数年あるので、自分自身のライフスタイルに合わせて、どの透析が良いのか考えていこうと思っています。

なんと、夫が13年前に治療していた時に大変お世話になった看護師さん(お名前がマリアさん。明るくて優しい方。頼りになります。)が現在は透析室にいて嬉しい再会がありました。これから、その方に色々教えていただき夫に合った方法を考えていこうと思っています。

血液の癌が不治の病といわれていたのは、ほんの30年前。

少しずつ治療法が確立され、一括りにはできませんが夫のように血液の移植後も社会復帰が可能になりました。とは言え、健康な体とは言い難く、それぞれの体に合ったメンテナンスが重要です。

ニュースで「交通事故で命に別状はありません。」とよく言っていますが、命に別状はなかったとしても大きな障害が残ったり、後遺症が残っている方が多いのではないでしょうか。

それと同じで、大きな病気をした方は命は繋いでいても大きなダメージを皆さん抱えていると思います。

このブログを読まれている現在治療中の方、抗がん剤を使用した方々、ご家族に抗がん剤を使用した方がいる方に私達の歩んできた様子を参考にしていただけたら幸いです。

まだまだ治療は続きますが、これまでと同じく出来ることを一歩ずつ、歩みを進めていこうと思います。

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