入院後すぐに輸血が始まり、翌日からの抗がん剤投与の必要性と治療計画の説明を受け、同意書へのサインなど、多くの決断すべきことがあり夫は大混乱の中にいたと思います。
私は本当に白血病なら、抗がん剤投与しかないと理解していたのですが、治療のスピード感に圧倒され、急がなければならない意味に体が震えました。
暗くなってから病院と同じ街に住んでいた長男、長女のアパートへ1人で向かいました。
病院を出ると途端に涙が溢れ止まらなかったことを思い出します。
夫の病気については病院の近くに住んでいる夫の兄夫婦と、我が家の長男・長女と私の両親、夫と私の職場の方に告げました。全5クールの治療は1か月に1クールおこない、1クール終了毎に一時退院する。そのため、仕事を長期に休まなければなりませんでした。
次女の小学校通学に支障がないよう、両親が私の家に来て次女の面倒をみてくれることになりました。次女のサポートには学校の先生、仲良しの級友のお母さん、近所の方など多くの方に助けて頂きました。今でも本当に感謝しています。
私は子供のアパートを起点に毎日病院へ行き、金曜日の午後に自宅へ戻り次女を連れ、アパートで子供3人と過ごし(両親には休んでもらう時間を作り)、日曜日午後にまた次女を自宅へ戻し、アパートへ1人戻るという生活になりました。
突然、父親の病気で慣れない祖父母と暮らすことはあまりにも可哀相なことでした。まして、次女は夫がクリーンルームに入っている間はなかなか会うことができず、手紙や絵を何枚も書いてくれました。寂しい想いを沢山させました。
私の両親もひどく驚き、私達家族を心配しつつ、慣れない6才の孫の面倒をみるのは非常に大変なことでした。次女は夜中に「お母さん、お母さん」と泣く日々が続いたそうです。私の母は1度眩暈で倒れたことがありました。本当に苦労をかけていました。
息子は高校3年で、すでに志望大学も決まり受験勉強真っ只中。そこへ週末毎に家族に会うのを心待ちにしていた6才の妹がやって来るので勉強どころではありません。今思えばよくぞ現役合格してくれたと思います。夫自身がとにかく治療に前向きでしたので、それを受けて夫のチカラになる情報も探してくれていました。
長女は落ち着いた、しっかり者で私を気遣ってくれていました。長男である兄が父の病気についてアレコレ調べたり分析したりする傍で、冷静に構えていました。でも不安な気持ちや、恐怖を口にすることなく耐えて、心にため込み過ぎていたのでしょう。長女が大泣きしたことがありました。私は16才の娘に頼りすぎていたことに気づき、申し訳なく2人で抱き合って泣きました。
病室で1人不安な夜を過ごす夫を思うと自宅へ行ったきりになれず、私は沢山の方に協力を得て治療に立ち向かう夫のサポートをすることができました。
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